NOTE
日記
ほぼ完全に近い形で自由な暮らし自由な活動をしているはずなのに何故こんなにも窮屈な思いをしなければならないのだろう。何のきっかけがあってかこの1週間吐き気のするようないらいらに圧倒されてきた。「本当にやりたいことは何だろう」なんて問いは自分には無縁で良くも悪くも常に本当にやりたいことだけを何の躊躇も障害もなく選択してきたと思っていた、けどそうではなかった。躊躇も障害も自ら勝手に作り出していたのだ。
はっきり決めれば身勝手だと言われ決めなければ優柔不断と言われる。例えこんなもの言われたとしてもそれは一時の出来事であり、後に引きずる自分の迷いこそが問題である。些細な迷いは過剰な自意識のために大きく肥大し尾ひれが付き意味を履き違えもはや自分で自分を苦しめる為だけに意味不明に居残る巨大な壁となり、結果誰も自分も期待していない方向へと舵が向いてしまいかねない。すぐ迷う位の決意で臨むからこういうことに陥るのだ。
今後自分がコントロールすべき場においては全ての迷いを排除し、自分のやり方を貫くと強く心に決めた。終わってから勝手に評価されれば良い。本当にやりたいことをやる。これでこれからの2年間を過ごす。